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繰り返しだけど

困った爺さん
2018/07/14 (Sat) 15:22:51

スキーの楽しみ方は人それぞれであるとは思うけれど、
基本的にスキーは滑走することを楽しむことには変わりないでしょう。
スロープを滑り降りる、あるいは惟る場合も、また飛び越えるジャンプもあるでしょう。そのスリルと敢えてそれに挑む冒険心とてもいうか、途中に障害物や雪の状態、地形の状態などをクリアして進む。
その際の滑走法がいろいろ異なり、それらをいろいろと会得し、それらを駆使して雪に中を進む。
そこでの楽しみは、その殆どが自分の中に合って、それゆえ自己満足的な要素が大きいと思っている。
少なくとも子供の頃のスキーは、自分にとってはそうだった。
スキー場で育ち、大半をゲレンデで楽しんだ。それでも林に中を抜けたり、崖を滑り降りたりもした。もちろんそこを滑るためには、苦労をしてスキーを担いで登らなければならない。
そんな中で、限られてはいたけど同じようなことをする子供とも知り合いになった。しかもその際はちょっと競う気持ちもあった。
そんな一人と今も仲良くしているんでけどさ。もちろんそいつは自分とはセンスが違う。17歳で全日本Bチーム入りを果たした。いい加減な奴だったのでその才能を生かしきれずに、結局やめてしまった。詰まる所、俺と大差ない訳だ。

話は異なるようだけれど、雪国の子供にとってスキーは他の遊び、スポーツとは異なる。野球、陸上競技やらあるいは相撲などとは異なる決定的な違いは、高速で滑り降りるというある意味では勇気の証でもあったからなのだろうと思う。
あいつは凄い、あそこを滑った、あるいはあそこを直滑降で滑った。そういったことが子供の勲章であったから、野球などの様に技術的に上手い下手ということだけではなかった。
その意味で大怪我を負う恐れがあることを乗り越える無謀とも言える勇気も必要であった。
そんな中で、そんな者だけが楽しめる遊びであってはいけない、ということなのだろうか、安全にスローで、しかもゲレンデだけのスキーがあってもいいのじゃないか、と言う思考が発展しるのも自然だろうと思う。
それを味覚に示す、こっちのスキーは怖くないよ、とでもいうのか。それにしてもその命名は難しかったのだろう。
まさか臆病者でもできるスキー、などいうのを全面に出すわけにもいかないだろうしね。
で、意味不明の動名詞化というのか、基礎スキーとなったのかも知れない。
しかしてやはり、昔はそのことを知っていながら、そう言いたくない、自らもそう思いたくないという思いからだろうか、延々と屁理屈を捏ねることになって、そんなのが集まって集団で慰め合っている。昔からそう感じたものだ。
当然、少し賢いものはそれが分かっていたんだけどね。
そんな輩を、ちょっと軽蔑して、横目で見てきたから、今でもそんな習慣というか感覚が取れない。しかも延々とノーガキをこく親爺になど会ったものなら、一言、言わなくていいことも言ってしまう訳だ。

ところで、昨シーズンで大体今のスキー感覚は掴んだ気がする。
後は子供の頃のスキーに回帰だ。
それと、スキーはゲレンデでのアルペンスキーに限っても、相当に筋力、体力を使う。

スキーの減速

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 15:23:24

ちょっと気なっていることがある。
最近のスキー、途中で止まることをしないように見える。
かなり危険な前に居る(つまり自分より下に居る)者を追い越そうとしているシーンも多いが、ターンの外側から追い越す際など非常に危険なシーンをよく見掛かる。しかし当然止まるべきシーンにおいても無理やり横を通過したりして、接触したか思う程ギリギリの場合も少なくない。
しかし追い越す方に止まろうとする意識は感じられない。これは止まろうとしないのではなく、止められない、のかも知れない。
そう思うと、急制動で停止するスキーヤーをほとんど見かけないことに気がつく。
私は、大抵必ずと言いていい程危険な場合には停止している。かなりの急制動になることも多い。特にボードが目の前にいきなり入って、しかもそこで予測不可能な転倒した場合など(これがやたら多い)、急制動はやむを得ない。
しかし、この急制動止む無しのシーンは誰にでもあると思うが、それには殆ど出会わない。
またカービングスキーは特にだけれども、スキー板を返しているだけでもターンできる。この場合ターン弧は浅くなり、その分高速になって行くが、それでも制動を掛ける様子は全くと言っていい程殆どない。
これは制動が掛けられないのでは?という疑問が出てくる。
進行方向に対してスキーを真横に向けるような急制動は全く見かけない。
このことから、カービングスキーしか知らない層は、はじめから制動方法を知らないかできないのではないかという疑いが出てきた。
従来のスキーでは、スキー板を大きく撓ませ、等価的にスキーの雪面に対して描くターン弧を深くしなければ、エッジに乗ったターンはできなかった。
スキーを折るほどにスキー板の中央部一点に加圧して、瞬時にスキーを深く撓ませる技術は、レースでも高等なターンで、お嬢様おスキーのレベルではできる者は殆どいなかった。
その際のターンは、トップを頂点として扇型にテールをターン外側に振ることで、スキーの方向を変えてターンをする。これはどうしても減速が大きくなるために、レースでは使えない。
しかしてこのテールを振るターンも、初心者は上手くできない。
そこでプルークボーゲンから徐々に外足一足に完全に乗ってターンができる様に練習する。
そう言えば、この練習をついぞ見かけない。
つまりそんな滑走法を踏まずいきなりカービングターンの方が簡単なのではないか、そんな気がしている。
先に書いたように、カービングターンは基本的に減速ができないから、止め方を知らない、ということにもなりかねない。
止め方を知らない。それで怖くないのだろうか?
さらにそう考えれば、ボーゲンで前制動をかける姿も見ない。
この滑走法は非常に重要である。
スキーを真下に向けて制動を掛ける滑走法はこれしかないからである。
スキーを進行方向からいきなり真横に向けて一瞬でスキーを止めることも速度によっては可能だけれども、それはいきなり停止であって、徐々に制動を掛けることは殆どできない。真下に向けてスキーを完全に真横にずらしていくことは、制動が掛かるほど長い距離はできない。
スキーを進行方向に対して横に向けての制動は、必ずターンになってしまうので少なからずスキーを向けた方向に移動してしまう。
なので真下に向けたボーゲンは、救助などで救助用ボートに人を乗せ、それをゆっくり下ろす場合などには、必須の技術となる。
何にせよ、ボーゲンは基本中の基本な筈だけれど、今はそれを教えないのではないだろうか。
初心者には、カービンターよりも難しい技術なのかも知れない。

そして楽しいスキー

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 12:38:47

しかして、現実はこれまで延々と書き続けた通り、
現時点では、スキー場で知り合う人には、先に示してきた単純にスキーを楽しむ、という者が殆どいなかったのです。
しかし中には、スキーをレジャーとして純粋に楽しむ者がいました。二人ですが、そしてその二人は、私のスキーを、これまであったスキーヤーであなたが一番上手い、やら、このスキー場ではあなたは秀でた存在で群を抜いて上手い、本場の全くに迫力のスキーを始め見ました、といった恥ずかしくなるほど絶賛でした。
しかしそれは素人目にはでしょうし、地区的に活躍した選手を輩出したことがない程の地区だったこともあって、特にSAJのスキーに無関係なものにはそう見えるようです。
まず滑走速度が非常に速かったからでしょう。自分ではそうは思わないというか、分かりませんでしたが、スキー場で度々そう言われましたから。もしくは雪の状況に影響されない力強さを感じたのかも知れません。高速で滑るということはそういうことでもあるのです。
皆恐らく素直な気持ちでそういったのでしょうが、先に書いたように見ただけではスキー技術は分かりません。まして完全な素人のような人に褒められても、何処が痒くなるだけです。
昔のスキー仲間には、相手にならないほど下手、と言われてきましたから。
 
少なくてもそんなことよりも、皆で楽しいスキーがしたいという方の最優先で、上手いとか下手などということは聞きたくありません。

スキー場でも、褒められるのも苦手ですが、やっかみに似たものを感じた時ほど悲しい気持ちになることはありません。そんな次元でスキーをしたくないものです。

今行っているスキーは、レジャーであって、他人と競うものではありません。
自分の中の冒険心とでもいうか、スリルというか、自分の中のものと競うのです。
そしてそんなことを楽しむ仲間が居れば最高でしょうね。
それは、そこでは、スキー技術などはどうでもいいことです。
そもそも体力的限界が早く、一日といっても、3時間程度しか滑りません。
後は温泉など風呂に浸かっているか、ビールでも飲みながら何かを食って、時折ですが周囲の皆さんとワイワイ騒いでいるだけです。

そうすれば・・・・あと20年かな、優に80歳を超えてるぞ、などという方が面白いかも。

いろいろ前書きが長くなって

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 11:57:34

しまったけれど、40年以上も経ってなぜスキーか?
そもそもは youtube でたまたま見たスキーシーンで、このスキーはできないかも、と思ったことだということはすでに書いたけれど、その後の経過もあるのです。
スキーに思いを巡らすうち、子供の頃、そう小学生の頃に思った、スキーを着けいるだけで楽しい、という気分をもう一度味わいたい。そんな気持ちになってしまい、そう思うとすぐに行動しないと、そこで止まると後がない年でもあるので、一気に突き進んでしまったのです。

結局、スキーが楽しくなくなった

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 11:51:22

レースを始めた頃までは、スキーが楽しかった。スキーを着けているだけで嬉しかったんです。
で、高校に入るころからかな、中学生の頃からあったんだけど、スキーは苦しいものになってきた。
悩みもがく毎日でしたし、それなりのものを掴まえたと思っても結果には現れない。
それは致し方がないもので誰もがそうであるのかも知れない。
でもね、自分の身体能力が劣っているを分かった時は辛い。
はっきり言うと、スキー選手に限らずだろうけど、トップに出る選手は身体能力が際立っている。
何をやらせてもすぐに分かるレベルで、運動神経ばかりか反射神経なども特出の感があるものですよね。
元々が、所謂ドタであったので、いくらやっても永遠に追いつけない、と自覚した時は悲しいというより、きっぱり諦めがつきましたね。

勿論自分の様な同類の一般人というか特出の運動能力を持たない多くの者が去って行った訳ですが、一握り、国際的な試合への出場経験がある者や全日本クラスも何人か居たのです。
ただそういう連中も、今でもスキーに関与しているなどという者は皆無に等しいのです。

スキー技術など見ても分からない

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 11:35:35

余程の下手ならば見ただけで分かると思いますが、ある程度以上ではフリー滑走を見てもその人のスキー技術などは分からないものです。
もしそれが分かるのだとすれば・・・見ただけで、君、ナチョナルチームに入らないか?ということになるのかな?
どのレーシングチームでも、フリー滑走で決めるなんて言うのは聞いたことはない。
レースに限らず、見て分かるのならば新しい技術など、発見できないし、革新は起こらない。
というのも、それまで言われた技術、スタイルとは真逆とも言えるほどの技術や手法がスキー技術を大きく進化させてきた。そしてそれらの新しい技術は、概ねはじめは格好が悪いスキーと言われたのですよ。
また見て分かるのは、見る人間の好みの程度ということになるかな?
何れにせよ、そもそも見て分かると言った時点で客観性など望めないことが分かるよね。その次元で上手いとか下手とか言っていること自体、次元が低いということだと思うけどね。

ただレース上での見た感じは異なりますよ。決められたところでターンしなければならない、それもミリセコンドオーダーで。そして敢えてそれが難しいように設定されているなかでです。
そういったところで、的確にターンなどをするのを見れば、際立った身体能力が見て取れますから。そしてその結果は時間という絶対的なものに表れますしね。

ついでに、であるけれど・・・美しいスキー、とやらについて
身体的動きの美しさ、これを競う、というより鑑賞すべきものだけれど、それは基本があると言われます。
まず何を置いても、第一はクラシックバレイです。
フィギャースケートでも、シンクロナイズスウィミングでも、必ずクラシックバレイを学ぶ。
そしてそこでは、まず身体の容姿というか綺麗さ。
まずは骨格、骨に腱を介して筋肉がつく。筋肉が基本になって身体の形ができていくから、その基本の骨格がダメというなら話にならない。
それはもう天性といってもいいものなので致し方がない。その時点でアウトなら、綺麗、美しいを競うものにははじめからハンデキャップを背負うものに入っていくべきではないだろうね。
しかして、どの競技でも外国人コーチが言うように、なぜ日本人は自分の体格などの条件に合う競技を選ばないのか、ですよ。
クラシックバレイはヨーロッパからロシアに入って現代の形になった様ですが、従って我が国の舞台芸とは何らの結びつきはないのかも知れません。
日本の動きに基本はナンバです。ナンバの歩行は西洋のそれとは異なりますから、能や狂言はナンバの動きでクラシックバレイとは真逆といってもいいですよね。
またこのナンバの動きは、走る飛ぶを基準としていない。狩猟紋族ではなく農耕民族であるからとも言われますが、そうなのかも知れません。

ここでの話はスキーなので、スキーに話を戻すと、スキーで綺麗、美しいなどと言う要素を競うものは多くない。
一部でアルペンスキーに限ってだけれど、そうゲレンデスキー。正しいスキーやら美しいスキー?って、いったい何を基準に?
でもね、それをでっち上げないと、そう主催者がもたないですよね。
それ自体素人を相手にした、そんな所詮無理な設定に振り回されるって、馬鹿げていると思うのですが。そうは思わない人が多いようですね。
それどころか、小柄な人が単に目立ちたいのか、奴凧ややじろべいでもあるまいし、両手を子供の飛行ごっこの様に横一線に開く必要があるんでしょうかね。
何処でも、レーサーのフリー滑走でも、外国のデモンストレーションでも見たことがないんですよね。
自分の時代、可倒式の旗門用ポールが出る前ですが、体を必要以上に開かせないためにも脇は閉じろとまで言われたくらいです。

といいながら

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 09:12:15

かく言う自分もスキー検定とやらを受けたことがある。
10才だったと思うが、そのシーズンの春、育ったスキー場ではそのシーズン最後の検定だという。
スキー検定、それ自体の存在を知ってから間もない頃だった。
取り敢えず受けてみる。2級以下はどれを受けるかを選べるから、2級にした。
子供なので何が何やらわからないし、教えてくれる者も居ない。
で受かったが、実際何処をどう滑るのかを試験官のおじさんに聞いて受けた記憶がある。
幾つかの種目があって、ジャンプもあった。
そして差後に、受験した個々人に試験官の感想というか助言があった。
まず服装について、ヤッケを腰に縛ったまま受けてしまったことを注意された。次いで検定内容、つまり検定種目をきちんと把握してから受けること、の2点であった。
そして最後に、次は1級だね、来シーズン待ってるよ、と。
内容からすると、2級からしか受けられない決まりだけれど、1級も試験の種目は変わらない。すでにもう受かっているとよ、といったニュアンスだった。

勿論有頂天になった。
いつも行くヒュッテで、大人たちに内容を離して自慢した。そこではマスコットのように可愛がってくれていたから、みんな喜んで聞いてくれた。
ただ最後に、スキー検定というのはスキーができない人のためにあるんだよ、と。そして今君が目指すスキーではない、といったことを遠回しに言われた。
大変に親切な大人たちだったと思う。
彼らは皆、スキー教師の資格を持っている。しかし持っているだけで実際にスキー教師をしたことはない。
ただそのせいか否かはよく覚えていないが、翌年からはレースに入ってしまったので、検定とは無縁になった。

レースは衝撃的だった。
まずスピードが全く違う。スキー検定などのスピードでは全く歯が立たない。
その衝撃は、それからそれに夢中にさせるには十分だった。
第一、
旗門用の竹の棒を跳ね除け時にはなぎ倒しなら力強くターンをこなしていくそのスタイルはカッコがよかった。
当時の小学生対象のスキー競技会のレベルではない。そのレベルでは常勝だったけれど、間もなくそのレベルは卒業になった。

何を競うのだろう

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 09:10:13

とすれば・・・・
こともあろうか、同じような滑走をしてタイムを計らない競技があるという。その華麗さを競うのか、何を競うのかは分からない、聞いても釈然としない。そんな競技だという。
で、さらにその話を聞いていて、分かった。案の定、SAJだ。それにしても、いつものことだけど、全く意味なないことをよく考えるものだ。
第一、基礎スキーとは何だろう?スキーの基礎ならばその意味も分かろうというものだけれど、基礎スキー?っていったい何を意味するのか?

比較的簡単に誰でもできる内容で、とても柔らかく素人相手に効率的に集金をする。
主催する方になってみれば、ドル箱スキー検定をあれよこれよと拡張したくもなるだろう。がしかし・・・それが・・・やめておこう、SAJを批判するために書いているのではないからね。
ただ、現在我が国では、いろいろな検定と言われるものが氾濫している。やれ漢字だの英語だの、そればかりかありとあらゆる検定が行われて、そのレベルとやらを競わせている。

まずスキーに限って言えば、スキーに級だの段だのをつけて何の意味があるか、ということ。
上手さ強さに位をつけるのは、殆どの場合個人的対戦のためにあるとおもう。
レベルがまるで違ってははじめから勝負にならないし、その場合のハンデキャップをつけての対戦の基準にもできる。
がしかし、スキーの級は競うことを目的につくられたものではない。
上達の良い目標になるという者が居る。
確かに初心者レベルでは必用なのかも知れない。
しかしてある程度できる様になれば、その存在は返って邪魔になる筈だと思う。

最近スキー場に行くと、スキーをしている者はやたらと年寄りである。
そしてそういうにの限って、スキー検定がお好きな様だ。
そう世代的にも、点数で競わされてきた年代かな?
しきー検定を受ける理由?誰かに自分はスキーが上手だと認めてもらいたい?なかな。

モーグル

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 09:07:25

モーグルについて、知る限りははじめとても面白いスキーであった。
昔から課題とされてきた気がするが、際立って不整地な状況でスキー滑走が難しいスロープ。
つまり大きなギャップだらけでスキーの進行を著しく阻害する斜面ということだけど、そこでは当然滑走に時間がかかり、転倒やコースアウトによって何処かにぶつかる恐れも大きい。
そこでそんな斜面をより高速に、しかも華麗に滑り降りるという、モーグルと言われる遊びが流行っている、と聞かされたことがあった。
それは面白いな、と昔を思い出しながら想像した。
実際にフィルムだったか、そんな時代だったけれど、見た記憶がある。
自分の記憶では、そんな斜面ではギャップのトップ、つまり尾根から尾根を飛んでいくのが安全で、自然にそうしていた。谷に落ちるとスキーが煽られて、下手をすると尾根がジャンプ台になりとんでもなく飛ばされてしまう。その場合、制御不可能なほど飛ばされ、落ちた地点を選べないほどになるので、その時点で滑走ができなくなる恐れがある。
実際、そのモーグルの様子も、当然というか、そのように滑走していた。

最近、モーグル競技というのをよく見掛かるようになった。日本の特に女子選手でトップクラスの選手が居たからだろう。
で・・・、その様子は昔に見たものとは大きく異なっていた。
谷ばかりを忙しく踏み替えることで滑り降りている。
この滑走は、コースを通過するタイムを競っているために起こると、と直感した。
こんな人工的にキレイに整然と並べられた小さなギャップでタイムを計られたならば、当然その滑走法になる。
つまり、谷から谷を滑るメリットであると思う。
まず距離的に最短であり、谷に嵌って滑るのでスキーが横滑りをせず真っすぐ下方向を向いてくれる。次いで体が上下に振られる大きさも最小限になる。
でもそれは規則正しく並べられた人工的なギャップでしかできない筈で、その意味では本来のモーグル遊びの醍醐味が全くスポイルされているといってもいい。
さすがにそれでは本来のモーグル遊びとかけ離れすぎると考えたのか、途中でジャンプを入れている。
それでも競技化したことで、本来の面白さは半減した気がしてならない。

ターンとは

困った爺さん
2018/07/11 (Wed) 08:53:15

そもそもターンというのは、進行方向に障害物がある場合に、それを避ける必要がある。また速度制御も重要でしょう。
本来そんな理由でターンが必要になると思うのです。
なので、スキーはもちろんレースによってその技術や用具が飛躍的に発展したのだけれど、そのレースもまたスキーに対する弊害ももたらしたようにも思う。
同じコースでターンを繰り返し、その通過時間を競う。つまりターン如何に速く高速で行えるか、というターンの本来に意味の一つである、速度制御とは相反する方向に進んでしまった。