名前
件名
メッセージ
絵文字
画像
アイコン
文字色
パスワード
プレビューする(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

時代は面白い。

困った爺さん  new!
2019/02/17 (Sun) 12:47:52

雪のあるスロープならば何処でも滑るには、まずギャップだらけの深い吹き溜まりや強い風を露出したアイスバーンなど、斑で荒れた所を滑走の滑走を、今の用具で試してみなければならない。
それは綺麗に整備されたゲレンデスロープとは異なり、それに適した用具も必要となる。
最も重要な用具はブーツである。
堅く締まったブーツは、一面が殆どフラットな硬いバーンの場合は、足先や体の動きに鋭敏に反応してくれるので、非常に有効になる。
しかし先の荒れたバーンでは、逆にスキーが一種の梃のようになって、それに煽れれる状況が生まれる。というより随時続けてそんな状況に至るから、ブーツはそれを吸収できるほど柔軟さが必要になる。
またも昔の話で恐縮ではあるが、昔のブーツは今ほど硬くないから、コースによって広く応用できた。それでもプラスティックが普及し始めるまえまでだろうか。
おいらは今のブーツではその辺が良く分からない。
柔らかいシェルはスキー技術が未熟な者様になっている様だ。それはあくまでも整備されたゲレンデスロープの場合で、荒れたコースではカチンカチンのブーツでは、足や体への反作用が強く、強い筋肉疲労や関節に対する衝撃で、逆に滑れない。
そこでいろいろと錯誤がある。
ブーツは実際に履いて滑ってみないと分からない。おいらは、今のスキーを知る、ためにいろいろと試してみている。
スキーショップでそんなことを話してみた。そこでFLEX値は90位を試してみるのが良いと言う。
もちろんゴム長靴をスキーに括り付けても何処でも滑れる自信はあるから、それを試すのは問題ない。
ただ試すだけなら、安く上げたい。
と・・・・ネットを別なものを探すのに見ていた時、広告に目が行った。
なんと、9,000円弱でFLEX90が出ている。
で、注文してしまった。大規模なチェーン展開のスポーツ用品販売店がつくったオリジナル商品だった。恐らくごく最近倒産した国内ブーツメーカーのOEM製品だろう。後がないためなのか、一気に処分に出ているのかも知れない。
そんなことはどうでもいい。要はそのブーツを試したい。
非常に軽いスキーもあるので、それと組み合わせて、荒れたコースを飛び跳ねてみよう。

荒れたコースを滑らなければならない。

困った爺さん  new!
2019/02/17 (Sun) 12:06:53

アルペンスキーの醍醐味は、雪のあるスロープならば何処でも滑る、ということが基本だと思っている。
少なくてもレースのスキーに魅せられる以前の、ほんの子供の頃のおいらは、スキーをその様に感じていたし、それが何より面白かった。
レースも特別に整備したバーンを用いるようになったのは、何時頃からだろうか?おそらく1960年代後半1970年頃からかと思う。
おいらがる限り札幌オリンピックでは、今で言うピステの状態になっていた。もちろん圧雪機などはない。
その後おいらはスキーをしていないので分からないけれど、きっとレースのスキーに引き込まれるの如く、一般スキーヤーのためのゲレンデスロープも圧雪が持ち込まれたのだろう。
ただしそれはコースを難しくするためではなく、逆に滑り易くするための利用だったのだろう。
もちろんその前、自分たちもレースの練習では、雪が降って新雪のコース状態の時は、コースを登りながら皆でスキー板による圧雪とでもいうか踏み固めて登った。そうしなければレースのための練習滑走にならない。
それが敵わないほどの積雪では、新雪の中を軽く流す、といったスキーで短時間で切り上げた。後は一般のスキーヤーが滑って固まるのを待った。
それでもスキーは面白い。新雪の中を滑りたいが、リフトなどは用いることはなく徒歩で登るので、深い雪では何度もは登り切れない。
スキー用具やスキー場施設の発達と整備は、時代の趨勢とでもいうか、スキーの普及という主に商業的な目的が、スキー自体の方向性を変えてしまった感がある。
考えようでは、そんなことがおいらにとって現在のスキーが異質に思えるのかも知れない。
スキーの市場が大きくなったおかげだろうが、浦島太郎のおいらは、スキー用具の発達にもスキー場の整備にも驚かされる。
ただしかし、同時にこれが本来のスキーだろうか?という違和感というか疑問が始めから持っていた気がする。
特に雪に馴染みのない地区に住む人たちには、スキーは異質なものであって、子供の頃から、他の上手な者を真似て、そこから感覚で掴むといったものが分からないのだろう。スキーを着ける機会が少ないために、理屈を先行させてしまうのだろう。
物事を直感的に行う子供時代では、理屈は要らないし、第一理屈を言われても理解できない。
雪国においても、そのような感覚で掴めない、しかも感覚で掴むためには相応の勇気が必要になるので、それを何処までも回避するとなれば、理屈を捏ねるしかないのだろう。
即ちそれも一種の劣等化であろうか。
そういった輩は雪国でも居るということだけれど、レースを始めた子供の頃に思ったことがある。
それは、理屈など要らない。タイムが出ればそれこそ、それ相応の形ができていると。実際カッチリとした正確なターンができなければタイムが出ない。
時間という絶対的な基準を外せば、何を基準にするかが分からない。
それでもスキーというレジャーは、基準などは要らない。基準があるとすれば、それは本人の楽しさ、面白さということになるのじゃないだろうか。
しかして先の劣等感であるが、それは裏を返せば、優越感を求めることだと思う。なので曖昧な基準でも、勇気も感覚も悪く、それでもそれによる劣等感を擽られると、商業的な罠に入り込むのだろう。
絶対的な基準がなければ、屁理屈でどうにでもなる。それでもその屁理屈から出る訳にはいかない。出ることは、また恐怖から逃げ出す自分を再認識することになる。
なにか、反社会的な思想を隠して、そういった劣等感を、弱者と呼んで誘い込む宗教団体や政党を連想させるのはおいらだけだろうか。
その団体を、必要性も社会的意味もなく肥大化させることは、その構成員や首領のためでしかない。
そんなことにスキーも利用されている気がしてならない。

再度、ターンとは何か

困った爺さん
2019/02/14 (Thu) 11:10:49

綺麗なスキー、綺麗なターンという者が居る。一体何をもって綺麗と言うのか?
ターンと綺麗、その何れもアルペンスキー用につくられたスロープゲレンデ、しかもピステだろうか、そういったところで他人に見てもらうのだろうか?
綺麗が修飾語としてターンに掛かるとすれば、結果はシュプールということだろうか?
ところで、スキーを機械的に振動する板バネと考え、所謂メカニカルインピーダンスと考えれば、振動を制御し負荷分を利用する、のがスキーなのかもしれない。
この負荷に対して入力を与えるのが重力、遠心力と筋力か。将に質量とバネによって、mass と compliance を形成している。しかし、メカニカルな resistance であるが、それは雪の面に対してより摩擦による熱を加えことで、如何にして融ける水に乗るかが重要因子となり、その解析を面倒にしている。
そもそも現実ではそんな解析はできないから、結局感覚で掴むしかない。
詰まる所、これは理科学的研究と似ている。そこでは実験事実とその解析(理論検討)は両輪として進められてきたが、スキーも同様の経過をたどってきた。
常に現行理論を打ち破る天才的な選手が現れる度に、その理論は変更されてきた。
理論から新しい発見がなされなかったように、理論から新たな基本的スキー技術が出てきたことはない。
スキー技術は用具の発達が進化の大きな原動力であった。用具が代わる度に、それを用いて新しい感覚で捉えた若いスキーヤーが現れる。結局、実践と理論ではなく、用具の開発と実践ということかな。

小学の3年生くらいだったろうか、その頃おいらの家は、殆ど平地から谷の沢に落ちる地形の途中にあった。上の平地は祖父が管理する家庭菜園の延長のような畑であったから、男の子供のおいらにはあまり興味がなく、専ら遊びは沢側になる。
当然沢の向こう側は、また尾根に向かう登りの坂で、それらは当時の営林省管轄の林だった。
夏は山や野原を駆け巡って遊べるが、冬となれば雪に閉ざされる。雪の中でも懸命に遊んだ。雪との戦いも面白いが、やはりスキーやソリ遊びのほうが面白い。
おいらはスキーをしょって向かい側の坂を登り、そこを滑り降りた。子供のおいらにとっては、ゲレンデよりは遥かに近いその林が魅力的だったのだろう。何より冒険だ。
そのスロープの斜度は25度~30度程度で急斜面という訳ではないが、林であることと、人が侵入することがない常に新雪が積もり続ける状態であった。当然スキーで滑走するものなどは居ない。
そこを滑り降りた。面白くて何度も滑った。
今その時のことをよく思い出す。
心理的には自分の中に入り込んで、恐怖と戦うことで自画自賛的な自己満足を得ていたのだろう。
そんな山奥には学校の友達は来ないし、一人でやる遊びはそんなことしかなかったし、それが面白かった。
それが5年生では同級生二人が日曜毎にスキーに来るようになった。
もちろん父が自動車で彼らの送り迎えをしていたし、当時のスキーは、まず編み上げのスキーブーツを履かなければならない。その編み上げは、子供の力では締めが足りないから、もちろんそれも父が三人の靴を絞めてくれる。ゲレンデまでは1㎞ほどあったろうか、子供の足ではかなりかかった。それも多くの場合父頼みだ。
3年生に話を戻そう。そのおいらだけの山林スキーを見ていた者が二人居た。
祖父とソリ遊びに来ていた山の下に住む一つ年上の子供だった。
かれらもまたいつも一人で居る孤独な遊びをしていた者たちだったということだ。
おじいちゃんは雪がなければ畑で趣味の様な仕事に励んでいたし、子供はそんな山にまで来てソリで遊ぶ、稀な、というより孤独な子供だった。
で、そのおじいちゃんが、「凄いな、あんなところを滑るのか」と感心して褒めてくれた。また子供もあんなところ滑れるのはお前くらいだな、と煽てた。
そしてそう言われたおいらは照れながらも有頂天だった。
その少年はおいらとは違い近隣に多くの子供が居る地区に住んでいたから、一人で山に来て遊ぶというのは、多分周りと反りが合わなかったのだろう。そして祖父も孤独だった。そんな二人だから、他人に対する本質的な優しさを示せたのだろう。

そんなスキーが忘れられないことが、おいらが40年以上も経ってからスキーを再開した大きな理由になっている。
で山林スキー、その時のターンは必用必然だった。
ターンに失敗すれば立木にぶつかる危険もあるし、スキーで滑ることができる雪の状態を選ぶ必要もあった。
斜度はそれほどでもないといっても結構なスピードだったから、そのスリルは子供には格別だ。

実は今ゲレンデで行っているスキーも、あまり他人に見せたくはない。
おいらがスキーで目立ったのは小学生の頃くらいで、スキーの競技大会では一位が指定席であったから、山で育ったおいらにはそれが当たり前で、他人に見て欲しかった訳ではなかった。
ただ母は見に来てくれた。見てくれるのは母だけでよかったのかも知れない。それでも母がおいらのスキーを褒めてくれた記憶がない。
スキー競技会は小学4年生からで、山に住むおいらが、そこに出た時は圧倒的な速さで1位だった。あまりのタイム差に計測が間違っているのかと検討されたほどだった。
それでも中学生では、スキー仲間にはおいらより上手い者が何人か居たので、自分がスキーが上手いと思ったことはないし、誰かに見て欲しいと思ったこともない。
なので今も上手くもないスキーを見て欲しくはない。
それは、スキーが本当に上手く、従ってスキーをよく知る者がが見ていたら、さして上手くないのにいい気になっている、様に思われるだろうとの思いもある。というよりその方が強いかも知れない。
おいらが服装に拘らないのも、その点だ。
子供の頃にも、服装だけは一人前で、スキーを着けたらまさかの大下手は沢山居たし、それはまた陰での噂の種にもなっていた。まぁそれは、やっかみとも言えることだけれど。
結局のところ、子供の様に、完全に自分の中に入り込んだ楽しさ面白さを、感じることは難しいことなのだろうか。
逆に下手も下手、第一スキー自体を分かっていない輩が闊歩する現在に、嘲笑的な、あるいは不思議に感じるのも、そんな子供の頃があったからなのだろうか。
かつてもここに書いたが、スキーは何処までいってもスピードによる恐怖との戦いである。またその恐怖は、スリルと言い換えれば、大変魅力的な遊びになる。
しかして一方で、そのことは、経験上スキー技術はスピードと共に上がるものだ、と断言できる。
それでも昔からビビり屋は多く、そういった連中には恐怖回避を正当化するお嬢様おスキーを挙ってやっていたものだ。そう綺麗で安全なスキー。

徐々に分かり始めた面倒な事

困った爺さん
2019/02/12 (Tue) 09:43:06

2月10日の日曜日、奥美濃のスキー場は著しい混雑だった。
9日、10日とも怪我人も多かったそうだ。
それは先週の雨とその後の低温で、ゲレンデはガチガチのアオ氷状態になっていたことに起因するようだ。
おいらは日曜にホワイトピアに行ったが、朝の渋滞はここではじめて遭遇したほどだった。
実際転倒すると数十メートルも止まらないWCのピステ状態のようだったので、2度ほど突っ込まれてしまった。それでも用心深いおいらはある程度予想していたのでかわして逃げきれた感じだ。
そこではもう一つ問題があった。
それは予想だけど、単にスキーを返すターンでもより深く曲がると硬いバーンには対応できないのだろう。より浅いターンになってそれゆえの高速になっている者も多かった気がする。
おいらは堅いバーンが好きだ。というより未だいろいろと試験をしている最中なので、硬いバーンでは自分がスキーの何処に乗っているのかが分かり易いからだ。
ところで、先週岐阜県に本店があるのスポーツショップ、ヒマラヤの春日井店に行ってスキーを一台、ビンディング調整をしてもらった。調整をしてもらったことよりも、今のスキーの事情を教えてもらった方が参考になった。
滑走中にビンディングが外れた件で、ビンディングの前圧が弱すぎたことが分かった。外れたスキーは最高前圧14というもので6の設定になっていた。相談したスキーは、最高値12であったが、それを8.5に上げた。もう一台外れたスキーは、最高値は10で7.5に設定してあった。参考になったのは、同じ数値に設定しても、ビンディングによって上級用につくられたものと安価に軽くつくられたものではかなりの違いがあるとのことだった。
また調整してもらったビンディングは、レース用につくられたもので最高の基準であるとのことだった。
先の最高値14のものも8.5に上げた。他のスキーも随時8.5に上げる予定で、簡易調整と思われるビンディングについてはまた相談しようかと思っている。
昔のビンディングは今ほど難しくない。
またぞろWCの話だけれど、滑走中にスキーが外れるといったシーンをたまに見かける。昔では殆ど有り得ないことだった。
ビンディングの調整は難しい。特においらのスキーはビンディングメーカーがまちまちで、それぞれの調整値を知らなくてはいけない。
まぁそれは設定する方も、本人の滑走法というか、実際に滑っている様子の確認も必要なのだろう。
おいらの場合、最高でWCの大回転ほどのスピードに近いのかも知れない。
おいらのスキーを迫力があると評した人が居るが、恐らくより高速で深いターンを行うからだろうと思う。それでもインターバルで空中に浮きあがることは殆どなくなり、雪の面を舐めれるようにはなってきた。もちろんそれだけ高速になる。
しかしそれも、上半身に筋力的なパワーがなく、斑な不整地になるとややもすると雪の面に持っていかれることも少なくない。その場合は必然的にやや力づくになるが、その際はスキーの横方向に余計な力がかかるから、ビンディングの前圧が弱いと外れる恐れがある。
つまりは、スキーに正確に乗ってさえいれば大丈夫、という状況ばかりではない。
おいらのスピードでは転倒すると、概ね数十メートルは飛ばされる。
その意味での転倒は、つまり本当に転倒したのは3度であるが、何れも40メートルほども飛ばされっただろうか。
外れると、状況にもよるがおいらの反射神経や運動神経などの身体的な力では無理に立っていようとするとかえって危険なことも多い。
その辺は感覚だけでは済まされない。つまり、スキー用具に対するある程度の知識が要るようだ。
はじめ簡単に考えていたが、やはり時代というか、今のスキーについて行っていない感が否めない。
まずフリー滑走で転倒などある訳がない、との思いがあったし、ビンディングも昔より性能が遥かに上がって不用意に外れるなどということはないとの思いもあっ た。ビンディングの性能向上とは、僅かな危険も安全側に働く、というものであるのだろう。
極端に言えば、性能が上がったのは個々人での設定範囲が広くなった、ということでしかないのかも知れない。
この辺も正確な知識によって解決しておかないと、それが思わぬ不安に繋がっているのかも知れない。

敢えてカービングスキー

困った爺さん
2019/02/08 (Fri) 20:43:27

今シーズンのワールドカップ(WC)を見てみた。
先にも書いたかもしれないけど、40年以上もスキーをしていなかったと言うと、今のスキーは簡単になったでしょう、と問う者が多い。
カービングスキー、スキー簡単になった訳ではない、というのがおいらの結論。
簡単になったのは、初心者かお嬢様スキーだろう。
高速深回りでは、より高速に、より鋭く曲がれるだけ、乗る位置やタイミングはシビアで難しい。
かつてそれとなくyoutubeなどでWCを見ているときには気が付かなかった。
それはトップ選手ばかりを追ったものしかないからだったが、今シーズンは有線テレビでは第二シード以下の選手も見ている。そこで気が付いたのは、そのレベルになるとスキーに正確に乗れずコースアウトどころか転倒まである。
WCであることを考えれば、どの選手でも一般に比べればかなり上手いだろう。
それでもトップ選手とは恐ろしいほどのタイム差があるのにも驚いている。
とんでもない硬いバーンであることも、際立ってセットの横振りも大きいことも、PCモニタ上で見ていても分かるけれど、そんな中、コースの殆どを正確にスキーに乗って最後までいける選手はほんの僅か、というより、そういう失敗が全く見られない選手は、一人二人であるのかも知れない。
それでもテールに乗ってしまった瞬間に体が遅れるというシーンも少なくはない。ヒルシャーでもおいらが見たシーンでは、一度、ほんの一瞬体が遅れて腰を着くほどの時があった。その次の瞬間元に戻していたが、次のターンは一瞬ではあったが遅れていた。まして下位の選手では転倒をかろうじて免れた場合でも、そのままコースアウトしてしまう。
それを見てやっと分かった気がした。
おいらのようなレジャースキーの下手くそでは、特に高速の硬いバーでは決してテールに乗ってはいけない。確かにテールに乗ると切れ込んでくれるが、逃げ遅れるとでもいうか、テールに乗ったままでは完全に体が遅れることも多い。それは下手をすれば転倒に繋がる。
そこで参考になったのは、やはりシフリンである。
シフリンはかなり前に書いたが、どのシーンにおいても常に正確にスキーに乗っている。
ただ元々女子のWCの放映がないのか、たままた見逃しているのかは分からないけれど、youtubeでのシフリンのシーンしか見れていない。つまり他の下位選手が見れない。
そんな状況で感じたのは、シフリンは決してテールに乗っていない、様に見えるということ。また男よりも明らかに上体が前傾しているというか、かぶっている。
それは体が遅れた場合に、元に戻す男選手のような筋力がないからなのかも知れない。だとすれば、それは老いぼれのおいらには参考になるスキーだ。
あるいは一瞬たりとも体が遅れることない程上手くスキーに乗っているかなのかも知れない。
またGSでは幾つかの僅かなシーンしか見ていないが、内足に乗るシーンがなかったし、外側はトップからセンターに乗るまでで、テールに乗るシーンはなかった。
いずれにせよ、おいらは堅い急斜面での高速スキーにおいては、決して高速のままでより深いターンをしようなどと欲を出していけない、ということだろう。
スキーを再開しようと思った際には、下手をすれば身障者どころか死もあるかも知れない、その可能性はあるとも思った。しかしてそれも現実感がおびてくる。
そして気を抜いてはいけない。
先日、コースに知り合いを見つけたので、それを目で追いながら滑走していた。視線を前の戻した瞬間、前を横切る子供が目に入った。ターン方向ではぶつかる。そう思った瞬間反対にスキーを返したが、次の瞬間、転倒した。
目の前が空いたのが確認できたので、敢えて無理をせず転倒する判断をした。
子供頃、転倒は恐らく14歳が最後でそれから無かったが、スキーを再開してからは何度か転倒している。穴や崖から落ちたといって転倒2回、スキーが外れた転倒2回・・・原因不明(多分体が遅れた)の転倒1回、明らかに身体が遅れて転倒1回と、数えれば既に先のよそ見も入れて7回も転倒している。殆どはゆだんや不注意だけれど、問題は転倒したという事実だ。
こうなると転倒も怖くない、というよりここは転倒した方がいいと判断できるようになった。転倒をかわそうにもかわせないかも知れないが、また殆どの場合3,40m以上飛ばされるが、怪我はもちろん打ち身などもない。転倒したままスキーを上に挙げて、体で滑っている状況を楽しんでさえいることも二度あった。
しかし楽しんでいる場合ではない。少なくてもフリー滑走なので、決して転倒をしないスキーを身につける必要がある。それは常に正確にスキーに乗ることしかない。

やっと本来のスキーに帰りだした

困った爺さん
2019/02/04 (Mon) 14:35:50

「縮小するスキー産業 4度の五輪代表・佐々木明が語る本当の魅力とジュニア育成の課題」と題する記事がネット上にあった。
この大半の考え方は、ここでおいらが主張してきた内容と殆ど点で似ている。
こういったスキー感をより深く知って欲しいものだととの思いも、ここで色々と書いている理由でもある。
佐々木明氏は、スキーを考える範囲あるいは実戦できた範囲は未だ狭いものだとは思うものの、それは多分彼の子供の頃のスキー環境が狭い中で追い込まれたようなものであったからだろう。
それでも、そのことに気がついたのは、親の影響が大きかったと述べている。
ここで何度も書いたと思うが、スキーはごく初期に実用を離れた時点でレジャー(つまり彼の言う遊び)になったのだから、面白くなければレジャーにはならない。
先に書いたように、おいらの経験からもレースに入り込むことは、そのセンス、才能があればそれで良し、である。しかし、そうではない者には、またレースに集中すべき時代を過ぎた後には、レースによる弊害的なこともあると思う。
スポーツとして捉えることとレジャーは異なる。またレジャーである以上スキー自体の幅を広く持たないといけないだろうとも思う。
極端には、ディスタンスやジャンプといったノルディックもスキーなので、それはそれで、その基本を問えば面白いレジャーとして成り立つだろう。
アルペンスキーとはスロープを単に滑り降りるだけのスキーを言うのだから、勾配を滑走するだけのレースはもちろん、ノルディック以外のスキーは全てアルペンということになる。当然フリーライドもフリースタイルもアルペンスキーである。
そのうち何を選んでやるか、も子供の頃から自由度が合っていいし、そうすることで何が自分にとって面白いか、という選択の幅を広くすることも重要だと佐々木氏は言う。
そんなことは雪国で育てば当たり前のことである。が、しかしそれが当たり前になっていなかったのは、一般スキーヤーを偏狭なスキーに組織的に導いた者が居るからであると、おいらはここで言ってきた。
おいらは子供の時、崖も林の中も滑ったし、ジャンプやスロープをスキーを着けたまま登るなどは日常のスキーであった。
さすがに中学生では、本格的競技としてスキーを行う段になって、ジャンプやランナーでは眼中になかったため臆せてしまった。しかし有無を言わさず決められ強制される環境で、運よくアルペンになった過ぎない。
それでもノルディックを強制された者も、その中で活路や楽しみを見出し、それなりの選手になって行った。おそらくそれがおいらであっても同じだったと思う。
それらを間近で見てきたおいらとしては、より広がりを以てスキーを考えられるようになっただろうし、多くの者にそういった観点を以てスキーを見て欲しいと思う。
ゲレンデの、それもごく狭いエリアでの単調なスキーだけならば、それはどんな屁理屈を言おうとも初心者のスキー指導からは出られない。
一般のスキーヤーにとって、スキーはレジャー、遊びなのである。
冒険心とでもいうか、スピードや恐怖に挑戦していく面白さが魅力でもある。
安全に綺麗に?「そもそも論」に帰着せざろう得ない。
はじめからそんなふうに考えるならば、別な、そう優しいダンスでもおやりになれば、という気がおいらはしている。
あるいは自力で大地を走ったり飛んだりできる範囲内の野球やサッカーでもいい。それ以上の、器具道具を用いて身体能力以上のスピードや、そこでの技術を求め楽しむとすれば、そこには、単なる臆病といえるような者への安全性や、基準が不明な綺麗などは存在しない。

雪不足でスキーに行く気がしない

困った爺さん
2019/01/10 (Thu) 11:14:25

それは、スキーを振り返って考える良い機会なのかもしれない。
先日のおスキーの教科書提的滑走手法を語った方々、「カービングスキーは従来のスキーとは全く違うのでこれまでのスキーは忘れて下さい」と何たらスキー学校の校長の弁だったと言います。しかして、従来のスキーと全く違っているのなら、40年以上を経て再度スキーを着けたおいらはどうなるのでしょう?
数回、4,5回でしょうか、やや戸惑いましたが、何のことはない従来のスキーと異なった点は僅かです。
ただその異なった点は、同時に非常に繊細で気が抜けないものでした。
つまりスキーに乗る位置が感覚的に異なっていて、これが案外難しいのです。
ところで、おいらがスキーを再開を考えた、というかちょっと乗ってみようかと思わせたのは、Youtubeでのスキー動画でした。
スキーを再開した後、やっぱり頼りになったのは、Youtubeでのスキー動画です。
ふと不思議に思ったのは、WCのトップレーサーがゴール後に転倒している姿でした。こんなところで、しかもかなりの低速なのに、なぜ転倒?
その理由が分かったのは、カービングスキーは直進が難しいことが知った時でした。
僅かなスキー板の傾きが鋭敏に影響して、意図しない意識しない方向にカーブしてしまうこと。特にこれは、スキーがまだ滑走を続けているときに、気が抜けたり他に気を取られて、無意識にぼーっと立った時に起こる。僅かにカーブする方向を意識するのが遅れた瞬間に転倒を招く。
カービングスキーが従来のスキーと全く異なるなどということはない。ただ力抜いた際の僅かなアンバランスな荷重が勝手な方向付けを招き、さらにその方向に思いがけなくスキーが走ってしまって体がそれに追従できない。
ただこれは当然高速滑走中にも起きる。
昔よく旗門コースなどで失敗すると、コースから外れ、そのまま気が抜いてスキーをコントロールせずそのままぼーっとして突っ立ったままスキーの進む方向に身を任せてしまうことがある。この時従来のスキーでは、スキーはただただほぼ直進し、思いがけない方向に走ることはない。
カービングスキーはこれを許してくれない場合が多い訳だ。常にスキーを意識的コントロール下に置くことが必要になる。
また特にテール部のカーブは、突っ立ったままうっかりテールに乗ることを許してくれない。スキー板に全く加圧しない状態では正確にスキー板の中心(重心)に乗る必要はない。またスキーの滑走面が雪の面に正確にフラットになっている必要もない。つまり気を抜くとはそういったリラックス状態で、僅かにテール側やトップ側に揺らいでいるだろうし、スキー板の僅かな傾きなどは余計に気にしない。
ところが、カービングスキーはそういったリラックスを許してくれない。特にテールに僅か乗った瞬間に、スキー板が雪の面に対して僅かに傾きを持っていると、スキーはいきなり思わぬ方向にカーブする。
繰り返しになるけれど、その時体が遅れれば、さらに不用意なテールへの加圧に繋がる羽目になり、スキーはより加速して一気に身体のさらなる遅れを招き、これが転倒の原因になる。うっかりミスのようなものだけれど、これがおいらの様な従来スキーヤーには癖になっている者も居る。
実際おいらは、無意識のうちに滑走中気が抜けてスキーが向く方向に任せたまま滑走スキーの上で、ぼーっと突っ立ってしまうことがあるようだ。
これを防ぐには、気を抜いてリラックスの時間が欲しければ、まずスキーを停止させるか、あるいはスキーのカーブRのみに任せ、加圧しないターンを意識下に置き体が遅れないようにリラックス姿勢を取るかだろう。
そしてそれを自分に言い聞かせ、それを習慣にすることが必要だろう。しかして体に染みついた癖は修正が案外難しい。
ところでカービングスキーの乗る位置の難しさ、だけれど、従来は外側スキーの一点に乗ればよかったが、僅かにではあるが微妙に乗る位置の調整が必要なことだ。その間重要なことは、決して身体が遅れないこと。
ターンのきっかけはトップから入ることは変わらないが、ターンのマキシマムとそれ以降に乗る調整だと思うのだけれど、これが恐らくおいらには未だ正確に掴めていないのだろう。
一気にスキー板を撓ませ短時間で鋭いターンを完結する、のも従来のスキーと基本は変わらない。
その撓ませ方にはコツが要る。これは比較的高度な技術ではあるのだけれど、従来のターンにおけるおいらの場合は、斜め前方に思い切って身体を投げればよかった。
スキーはその瞬間に大きく撓んで、次の瞬間に体は反作用的に起き上がるが、スキーもそれと同時に返ってくれるから、そこに遅れないように乗ってターンは完結する。
そのコツとでも言うか、それを身につけると、アンギュレーションと言われたテクニックは、意識しなくても自然に出来上がっていて、旗門用のポールは骨盤にバチンと当たる。
トップから踏み込み、そのまま体重と遠心力を一気にシューズトップ位置に集中させる。これがカービングには通用しない。
カービングスキー用に調整されたビンディングやブーツは、スキー板に掛かる加圧を巧みに分散して、容易にスキー全体からテールに抜けるスキーを可能にしている。
このテールに抜ける、が難しい点だ。
僅かにテールに乗る感覚が、スキーへの加圧を延長させ、ターン後半の加速を可能にするが、ここで重要なことは身体が遅れないこと。
もう一つの要点は、骨盤を開いて内足を抱え込み、それをホールドすることでより必然的に内足スキーにも加圧を加えることになっている点かと思う。
全身を両足のスキーを進行方向に合わせたまま直線的に身体を内傾させることはできないから、腰を一瞬投げ落として腰を折った形となるが、これは従来のアンギュレーションとは異なる。ターンのマキシマムで一気に外足荷重を掛けることは同じだけれど、同時に反作用的に上半身は後ろに持っていかれないように上体の前傾を保ったままにする必要があって、それには内足での支えが必要となる。内足に逃げるとでもいうのか、これは同時に内足側にも圧が掛かかることになる。
このタイミングは、従来のスキーに慣れたものには、一連の動作として固定するのが結構難しい。如何な状況下でも普遍的に行うそのデリケートな微妙なタイミングを、今一つ掴めていない。
恐らく旗門にでも強制されるターンを繰り返して身に沁み込ませるしかないのだろう。
教科書おスキーの御仁たちは、トニーザイラーのスキーとは異なると言ったが、それは逆な話だ。そうステンマルクの時代までだろうか、立つスキー姿勢が可能であった。
おいらが子供頃は、ターンの際、そのスピードに負けないためには身体を前に、つまり前傾が求められた。しかも下半身は膝を深く折ってい中ればならないから、身体をより小さく構えることになる。これはトニ―ザイラー的スキーである。
彼らが言うのは、スキー板を返して単にスキーのRに乗るだけであるから、カービングスキーの強い回転性をことさら意識しなくてもいいのだろう。仮により深いターンでも一気に加圧し、すぐに身体を返して次のターンに入る姿勢に戻すという必要に迫れている様子はない。その際、ターンを切り上げからインターバルでの姿勢の保持が重要な気がする。
例えばそれがリーゼンスラロームほどのインターバルでは、時間を考慮しなければ弧の連続でも成り立つので、そう難しくはないのかも知れない。
ターン後半速度維持し、さらに加速してターンを抜ける感覚だろうか、その際には膝が完全に入った姿勢で腰位置をやや前方に落とさなければ身体が遅れ、余計にテールに踏み込む羽目になって、必要以上スキーを振って、しかも体が遅れる。
ところで、トニーザイラーの前傾姿勢から立つ姿勢への変更を可能にしたのは、まず第一にブーツの進化であろう。強い前傾をしなくても、ブーツの支えで身体が後ろに持っていかれることを防いでくれるから、完全い立ち上がってもスキーをコントロールできた。そこで身体を斜め前に落とす感覚でも無理はなかった。
またこれは片足を独立で使えたから、ステップで切り替えができた。
ただ二本あるスキーを片方づつ使うということは、当然滑走に関しては不利である。今から思えばのんびりしたスキーだ。
カービングスキーは両スキーで雪を舐める、トニーザイラーのスキーを再現することができる。しかもトニーザイラーの時代のスキーでは不可能であった高速で深く鋭いターンが可能になった。この時代、ブーツの支えが殆どなく、より正確にスキーの中心に乗り続ける発用があって、浅いターンでも高速であること自体が難しい技術であったから、旗門もあまり横に振ってはいなかった。
時代は急斜面で大きく振り、より深い鋭いターンを一発で瞬時に決める技術を要求した。これをステップなしで両足スキーを走らせながら行うのは、当時のスキー板ではできなかった。
またおいらは経験がないが、可倒式の旗門ポールの登場後はスラロームを変えた。
極端に言えば、強いアンギュレーションは必要ではなく、直線的に身体を落とせる。つまりくの字の上体を支える極端な外足荷重はによらなくても、より強い荷重を可能にしたのだろう。
スキーを一瞬で大きく撓ませるには、体重に加速度を乗じて遠心力を一点に集中する必要がある。これはスキー板全長を均一に撓ませ、局部的な荷重によるターンの破綻を防がなくてはならない。
それでもWCなどで使われる際立って硬いバーンでは、スキー板全体でのターンでも破綻が起きている様だ。いわゆる機関銃を打つという状況が生まれている。
さすがに一流選手で、機関銃は単発の三つ四つに抑えられている様だ。
上手い選手ほど僅かな破綻もきたさず振り抜いている様子が窺える。
この振り抜きがとても難しい。

スキーとは感覚

困った爺さん
2019/01/03 (Thu) 16:47:32

自転車とスキーは一度乗れば忘れない。
おいらは今は亡き、世界でも唯一の二輪車研究者であった日大の長江先生に何度かお話を伺ったことがある。もちろん酒好きの先生の事、殆どが酒宴の席だった。
その際にも、オートバイクに最も感覚の良い十代の若い世代に乗せないのは問題である、といったような話があった。
4輪と2輪の事故率の傾向についても話にあった。
感覚的乗り物、それはスキーも同じとだと。全くその通りだと思います。スキー経験者として、そう答えた記憶がある。

スキーに関して言えば、小学生ではもう遅いかも知れない。怖いという感覚を持たない4,5歳がから覚えるのが最も良いと思う。
少なくても10歳で30度程度の斜面に臆する様では、その先はままならない。
斜度で憶するというのは、スピードの世界を知らないからだと思っている。
如何な斜度であろうが、出ているスピードな同じなら同じことである筈だ。
雪国においてスキーが上手いということは、他の野球やサッカーなどの遊技とは異なり、子供たちの間ではスキーは勇気の証として最も尊敬されていた。
スキーとはどこまで行っても恐怖との戦いであり、そしてその恐怖を乗り越えた所により高度な滑走技術が存在している。それでも致命的な大怪我した者は、おいらの周りには居ない。
安全なスキー、そんなことを言い出したらスキーは出来ない。始めからしない方がいい。
雪国でもスキーを恐れる子供は多い、というより殆どの子は怖がって挑戦的なことはしない。それは何時まで経っても上達は望めない。
そんな時代、そんな臆病な者達にもスキーを楽しむ道を開いた。それは後の基礎スキーとやらで、今となってはその命名自体意味不明なものになっている。
つまりスキーの基礎を学ぶなら、それはそれでスキーのできない者にはごく当然であろうが、何時までも基礎から出ない必要はない。
意気地なしを何時までも引っ張り続け、何処までもお金を掛けさせるシステムには恐れ入るが、それを少なくても公的機関を謳う組織がやっていいものだろうか?
まぁビビり者にとっての牙城なのだろうが、我が国にしかないその手法の功罪は問われるべきだろうと思う。
ある程度のことを得とくした後は、自由に挑戦して体験し、その感覚を磨いてより高度な滑走法を身につけるのが本来の楽しみだと思う。
スキー技術は、滑走速度と共に上達する。高速からより低速に、あるいは高速から急速な停止へ。高速で滑走するとはそれを身につけることだと思う。で、高速で滑るということは必然的にそれが身について行く。
今どうなのかは知らないが、その滑走や速度を見る限り、本来のスキーとはやや遠い。
ビビりの者達にも自信をつけさせたのはいいが、行き過ぎて大きな事故や哀れな結末を何度か見てきた(むしろ自然に感覚だけで覚えた者には居ない)おいらが思うのは、今でもそれが続けられ、勘違い人間を多く作っている現状には、いい加減にしてくれ、との想いがある訳だ。
お嬢さんスキーをどれほどやっても、スキーが分かる様にはならない。それはスキーの全体を見ていないからだ。
何でもそうだが、理屈など全て後付けであって、屁理屈を告いてもスキーは上手くならない。まずは感覚を経験から磨くしかない。そしてそれはいろいろなシーン、いろいろな条件に挑戦していく、レジャーとしてスキーを選ぶ最大の楽しみであろう挑戦である。

おいらは若い頃、一人前の理科学研究者を目指して懸命に研究活動をしていた。その際、まず初期に中学生でも分かる最も基本的とされる理論の検証を半年間も続けせられた。そしてそれを経た後、指導教授は、どうかね、理論など皆嘘だということが分かっただろうか?と。
それを分からせるため、貴重な期間の半年を使った訳だ。
その後は全く過去に述べられた理論を確認したことはない。分野にもよるが、研究では過去の理論を完全に信用してはいない。だからこそ新しいことが発見できるのだと思う。
スキーも例外ではない。スキーには確定した滑走法などはない。
まず感覚で捕まえ、次にそれを自分なりに進化させるのもまた感覚である。
そこに他者が入る隙があるとすれば、それは経験者としての僅かな助言だけであるから、やはりそれを元に自分で掴むしかない。
まぁおいらの経験からは、その手も屁理屈を言うものに限ってスキーは下手である。それは上手な者ほどそんな屁理屈には頼らないからだと思っている。

掴み取る力と身体能力

困った爺さん
2018/12/30 (Sun) 12:09:08

おいらが教育関係に従事した経験は、20年ほどになるでしょうか。ただ、純粋な教師という経験は殆どありません。
第一、他人にものを教えるなどと言うことは基本的にできない、と思っています。何でもそうですが、教えてもらおうなどというのは実現できない不可能な事。全ては自ら掴み取るしかないのです。教師や指導者はその手助けをするに過ぎない。
おいらは甘やかせるのは嫌いな上、丁寧な手助けなどしません。
何でも簡単に手に入れられるものではないので、そこを突破する気構えなど、精神というか、そういったものを幾つかの手法ともいうか、そういったもので下支えするしかない。それでも諦める者も多いから、それらは見捨てるしかない。道は沢山あるのだから。
最近、大学でいろいろな問題が起きている。それらは殆どの場合、大学に自主性に任せれば良いことだと、おいらは思っているのです。
選抜をどういう基準で行うかなど、各大学の方針で外からとやかく言うことない。ペーパー試験の結果のみで判断せよ言う方が、片手落ちだと思っている訳ですね。
おいらの経験からでも、何が何でも点数化するなどいうこと自体が過ちの素です。
そしてその結果のみで判断するのが公平と考えるのは、平等ということへの勘違いです。
実際教育の場、特に大学などでは、本当に教えよう(先の意味でですが)育てようと考えるのは、入学者の一握りです。後は卒業後の就職先でも世話をしてやればいい。それは本人や親や周囲の者が期待し望んでいることでもあるのだから、それで満足でしょう。しかし本気で育てようとするならば、本人にその強い意志や素養がなければできないのです。それは点数化できるようなものではないということなんですね。

ここでも再三書いてきたと思いますが、スキーなど他人に教わるものではありません。まさに自分から掴み取るしかない。まして点数化できるものでは決してない。
おいらも何人かの指導や助言を受けましたが(基本的にスキーを誰かから教えてもらったことはありません)、まず理論的な面を含めてイメージづくりでしょうか。
後は見ていて気付いたことを助言すればいい。ごく基本的なこと以外は自分の考えを押し付けるようなことはしてはならないものです。それこそ本人の素養、素質を潰してしまいかねない。経験からも良い指導者は余計なことは言わないものだと思っています。
ただ指導者のイメージが際立ってオリジナルな場合もある訳ですが、それはそのイメージを共有できるか否かになるでしょう。野球の野村氏が江夏に言ったという、二人で革命を起こさないか、でしょうか。野村は江夏の素養素質を無抜いていた。そういう観点が持てるから、野村再生工場なのかもしれません。
スキーでも、それがパトリュック・リュッセルから始まった新しい滑走法が有名でしょうか。大体は、カール・シュランツやグスタボ・トエニ、インゲマル・ステンマルクのように、自ら作り出した。ただしステンマルク以外は新しい滑走法という概念は無かったかも知れませんね。
一方で凡人は、単にコピーを続けるしかない。しかしそれとて、単なる凡人にはできないものです。コピーがいち早く正確にできる、という素養、素質が必要で、それもまた天才の領域です。
まずはコピーが、見て盗むがスタートです。盗む相手が多く居る。これが地域の伝統に繋がる訳で、そういう者の排出のない地域は、何時まで経っても低空飛行です。地域全体のポテンシャルが低く、盗もうにも盗む相手が居ない。
実際おいらは、奥美濃や御岳などで参考になるスキーを見ていません。まぁ下手だな、が感想です。長野や北海道など10歳くらいの子供でも、こいつは上手いという奴が何人か見るものです。
スキーなど単なるフリー滑走を見て、上手い下手が分かるものではありませんが、それはある程度のレベルからです。下手はすぐに分かる。見て分かるというのは、下手は分かるということでしょうか。
旗門セットを滑走する場合には話が違います。msecオーダーで体が反応する選手は見てすぐに分かりますが、その選手のフリーを見ても、実際のレースでものになるか否かは分かりません。
極限的な状況で反応できるか否かでしょう。因みに、未だにお嬢様スキーの連中では、旗門セットのコースになれば途端にガタガタになるのはフリー滑走を見ていても分かります。

今回、スキー場の宿泊で居合わせた客同士の座残会、大阪から来たという大年配、何十年もスキーをしているそうな。
全く笑えるほどスキーが分かっていない。何をか言わんや、教科書で読んだようなスキー理論を語りだし、最後は絶句する一言、カービングスキーのターンは真っす滑るより速いそうな。それは日本ばかり強豪各国のレーシングチームに教えなければなりません。滑降では真っすぐ滑らず、カービングスキーでターンしながらゴールする方が速いですよ、と。アルコールも入ったせいで、余程言ってしまいそうになりましたが、分かったつもりで言うのも年配者です。致し方がありません。
まずスキーやスケート、あるいは自動車のタイヤでもいいのですが、雪や氷ではなぜ滑るのかをきちんと教える必要があるのでしょうね。雪の無い所で生活すると、感覚的にも理屈も分からないんですね。
ターンの連続が速いか、滑走面を雪にフラットに着ける方が速いかは、雪に対する加圧にもよる訳です。このことは昔から議論されている様です。まだ答えが出ていないのでしょうか?
しかし少なくても、単にスキーを返すだけのターンでは、滑走面全てを使う滑走より速い訳がありません。スキーのターンにおける加速技術は、如何に強く加圧できるかにもよる訳です。そしてターンをできるだけ早く切り上げ、後はスキーを雪の面にできるだけフラットに接触させる。つまり旗門のインターバルではスキーを直線的に走らせる。
昔の一時期、蛇のテクニックと称し、ターン弧の連続で構成するスキーを主張する時代がありました。これは今も繰り返し出てきているのでしょう。
特にカービングスキーとやらは、ターン後半の加速が可能な様です。ただ何処までスキーを撓ませ、どのタイミングで加圧を開放して、逆にスキーの反りを加速に使えるかは、個人個人の感覚でしょう。
画像で見る限りは、やはり早い選手は切り上げが速い。硬いバーンで長くターンをするのはリスクも大きいし、ターンの切り替えが遅れ、ターンが後手に後手に廻っている。しまいに雪の面とのコンタクトを失い兼ねない。やはり速い選手は一発で鋭いターンをこなしスキーの反り返りを上手く使って加速した上、体位を安定させ、次のターン入るのも早い。それは感覚的鋭さ以外のないのかも知れませんね。

どうも・・・スキーに乗り気が

困った爺さん
2018/12/20 (Thu) 15:30:20

昨シーズン、スキー場で知り合った私よりも10歳年上で、初老とも言ってもいい方。そのお話の内容は、自分の今後の生き方と言っては大袈裟だけれど、とても参考になるものが多かった。
その際は数日を昼のスキーも夜の飲食も共にし、スキーについての考え方なども伺った。その縁で、シーズン終わりには再び二人で数日間をスキー場で過ごした。
今年、もう二週間以上も前になるだろうか、スキーの連絡があった。今シーズン初めも再び数日をスキー場で一緒に過ごすことになった。
昨シーズンお会いした際のお話は、寝起きから食事に至る今後老いに対する生活上の留意点とでも言うか、そういったものであったのだけれど、一つ一つがなるほどと納得する内容だった。
またスキーについも、始めたのは10年前というから。還暦過ぎてからということになる。
彼の言うスキーは、如何な状況、斜度や雪面状態などに関わらずほぼ一定の速度で滑走すること、だそうで、それはそれで一理あるかと納得した。
先にも書いたが、アルペンスキーのターンは、障害物を避けたり、雪の状況などでのコース取りもさることながら、まずは速度制御にあると、おいらは考えている。
従って、条件によらず速度を一定にと持つ、という考えは賛同できるものであった訳だ。
今シーズンの話に戻ろう。
その話があってから既に三週間近くが経っている。その時はまさかこれほど降雪がないとは考えていなかった。
結局奥美濃では未だ正式にオープンした所は、ファミリー向けとも言える緩斜面ばかりのスキー場一ヶ所である。
後は人工降雪によるゲレンデづくりが主な状況で、従って緩斜面ばかりになる。
しかもコース幅が狭く、そこにスノーボーダーがひしめく状況となる。必然的に速度をより低速にし、振りを小さくしなければならない。振りを小さくとはいえ、どうしても深いターンを意識するので、切り替えの早い小さなターンにするしかない。
それでもコース幅が狭いため衝突を避けて逃げる場所がなく、危険である。結局は小刻みに止まって周辺を見ながら滑ることになる。
こんなスキーをするために、わざわざ出かけると考えれば、行く気が失せてしまう。多分おいら一人ならば行かないだろう。
ところで、おいらがスキーをしていた昔は、急斜面は混んでいた。その理由は急斜面の恐怖からゲレンデ途中で止まってしまう者が多かったし、転倒も多かったからである。
等価的に斜度を落とすには、斜面を横断する形で横に滑ることになり、さらにそれもまた上から来る者の様子を窺いながら、ということのなってしまうのだろう。
しかして今はカービングスキーの出現で、横にスキーを滑らせながら速度を制御しての滑走が苦手、というより始めからその技術を体験していないようだ。
先のスキー場で知り合った方も、ボーゲンはやらない、と言っていた。
ボーゲンからボーゲンターンへ、それからより高速に対応するために外足一足でのターンを覚える。この手順は、初期には大変重要なプロセスだと、おいらは思っている。
しかしてカービングスキーは、単にスキーを返すだけもターンになるから、浅いターンで高速になる。従って勾配が急なところでは、緩斜面と同じターンでは速度の制御はできず高速になり過ぎて制御できないのだろう。
恐らくカービングスキーと同じ構造とすることでスノーボードという新たな用具も可能になったのだろう。むしろスノーボードの方が横滑りによるターンを見かけない。
つまりは、スキーもスノーボードも十分に速度制御ができないのではないだろうか。
恐れくそういった理由から、特にではないかと思うが関東より南に位置するスキー場では、短期間でスキーを覚えたものが多く、急勾配の斜面はより空いていることになるのだろう。
まぁ推測での理由は別としても、実はおいらをそこを狙って高速滑走を楽しんできた。
つまり、混んでいると言っても、それは緩斜面だけで、斜度が30度を超えたあたりでは、殆ど人はいない。
居たとしても、精々奴さん滑りのお嬢さんスキーの連中で、大きなターン弧のターンで、鋭く加速するターンではないから、ターン周期も速度も一定で、動きが読みやすく避けやすい。
しかして、何処へ行く。
宿泊は高鷲地区の民宿だから、近いところは六つ、七つある。
それは当日にでも決められる。持っていく用具は?
できるだけ軽い用具にするか。雨模様で硬いバーンも考えられるが、真逆に気温が高く解けてぐちゃぐちゃになる可能性も高い。
ちょっと迷う。なんか考えるのも嫌だな・・・・?